昭和44年 8月31日 特別奉修委員会
信心を頂くということから、熱心ということはなくても、普通のこと当たり前のこととして、それが身に付いてしまうような信心を、頂くかなければいけないね。あっちは熱心だと言われる間は、まだ修行が続くようですね。
ですから、そういう熱心な信心が、もう当たり前のこととして身に付いてしまうというところまでね、えー、おかげを頂くとおかげが非常に楽になってくる。ありがたい、もったいないものになってくる。
ですから、ためにはやはり、熱心なというところをやっぱ通らなければ、もう初めから楽なところから、楽なおかげを受けられるなんてことは、こりゃあ、夢叶うことさえありませんですね。
その、今、久富さんが今朝方お夢を頂いておられるのが、「 」みんな、あちらの「 」の方から、こちらに帰ってみえて、朝の四時の御祈念を頂いてから、そして、あちらにまた行かれたんですけれども。
秋永先生をはじめ、みんな、長瀬さん、東さん、久保山さん、連中。やっぱりそういう人達が、夕べ帰ってきた人達が、修行生の夢の中に現れておるですね。そして、キャベツが並べてある上を、ずーっとこう、それを踏みしゃぐようにしてから、車が通っておるところを頂いたっていわれるんです。
そりゃまぁ、最近、久富さんところのキャベツのことは、非常におかげといただいておりますから、結局おかげを踏み越えてということだと思うんですね。もうこげんすりゃ、おかげ頂くけんとか、神様の用に立ちゃ、氏子には神が足してくださるけん、といったようなものじゃないですね。
もういうならば、合楽のごひれいを考えてからのことですよね。もう今度は今まではじめてだそうです、70人もその(打ち合わせ集会?)に集まっているというのはね。その中の、やはり十何人かは、やはり合楽ですからね。
ですから、これはやっぱり合楽のごひれいなんです。それであの、昨日それを秋永先生が言ってましたが、ずーっと、名前を言うんですもん、「てんこう?}されるのに、まだたくさん申し込んであった、行っとらんとがだいぶんおるわけです。だから、せっかく合楽はこれだけたくさん行っとってですたい。合楽は顔ばっかり、面ばっかり出ちからという印象が深かったらしんですよね。
『はい』っち返事せんとがだいぶんおったわけですよ。ですから、そげなことなんかも本当にこりゃ、考えなきゃならんなぁ、もう少し合楽の人達は、きっちとした信心が出来なければいけんなぁ、と思うんですけれどね。
それだけのおかげを受けておって、半分そういうので引き落とすような、結果になってしまっているわけですが。だから本当に歌の文句じゃないけれども、もうそれこそ、『花も嵐も踏み越えて、行くが男の生きる道』なんていうような歌がありましたが、もう花も嵐も踏み越えて、こと信心のことなら踏み越えていくという信心。そこからね、私は本当のものが生まれてくると思うと。
私、今日は慌てまわってから、あのそのこと頂いた途端に、立ち上がったんですけれどもね。あの、そのことを思わして頂きよったら、ちょうどあの、うーん、紙をこんなふうにして、あの端の紙を使って、こういうふうにするでしょうが、結んでこう。あれを頂くとですよ、紙、紙を折ったの。
その合楽の人達はですね、そのある場合にはたいがいの人がですね、もう神様任せになること以外にはないと、いうようなことを思うとるとですよ。また知っておるとですよ。そして、神様の前にはもう何を言うても、いつもお供えしてるわけです自分というものを。
そして、何かことがあると今度は、引き、ちょっと引いたら、ポロっとほどけるような「のし?」ということになるんです。ね、私はここら「 」をまちっとね、一回から結び的、のしを付けとかなければいけん。
自分の都合ようことを思う。どげん思うたっちゃ、今はというその、そこに今ですね、私は思うのですけれども、すきっとこと神様のことの、もうこれは大変な信心ですよ。けれども、合楽は大変な信心が、平気でできるようにならなければ、神様がのしを付けてくださるようなおかげになってこんとですよ。
あれが、すべてが神様任せとか、あー、神様の前にはのし付けとるごと言いよるばってんか、「 」ったら、ぽろっとほどけてしもうとるじゃないかと、いうならば、神様がのし付けてくださるおかげをくださるはずがなか。
もうそれが思い込んでしまえるということ、いわゆる身に付いてしまうということ。ね、ですからすぐその、ぽろっととける。だから、ここんところをもうちっとおかげを頂かないけん。
ね、それの期待が、大きければ大きいほど、やはりあの、神様がそういうことをはっきりしてくださるのは、今、あの、久富さんの話を聞かせて頂いたんですけど、もうこの人は、あの、共励機会には、どこんでん、欠かさず、またそういうちょっと、何です、企画の委員長かなんかしておられますでしょう。
それで、根本さんと二人で、もう福岡あたりまで話したことない、ちゅうように、その共励の時にいかっしゃらなん。ですから、そういうことの時には、先頭に立っていかなならんとですこの人。ところが、何かこの人どうしていかんじゃろうかと、私が思いよったけれど、やっぱいかんっちゅうか、思いつくところで、今話し聞いてみると、ほら、昨日からちゃんと寝ついとる。
ね、いかに、いかに馬鹿らしかかということを教えなさる。しかも、これを一つ、神様がのし付けて下さろう、としござる前提であることを感じますですね。ですから、私はここに「 」こと神様ののことには、もう目をつぶってなんてではなくてですね、もうのしを付けきっとかないけない。
もうその思い込みを一つ、本当に思いこんどかないけない。それこそ、もうおかげのこととか、ソロバン持つというようなことやらはね、いっちょもう、立て置いてしもうてですね、こと神様のこと、というような時には、それこそおかげなんか問題じゃない、それは踏み越えての、例えば、なら今日も、なら、長瀬さんなら、長瀬さんの例をとりますと。
もう一人男手、もうそれこそ日曜たんびに行んなら、それこそ畑はもうそれこそ。「 」とするですたい、あそこは。こうあげんたくさん柿があるでしょう。これだけでっちゃ、例えば、土曜の半日と日曜ちゅうのが、一番長瀬さんにとっちゃその、家の御用ができる時です。それをやっぱり、踏み越えていかれるということは、こりゃもうおかげとか、なんかじゃないです。
そういう私は、ところを一つお互いが、あの、思い込ませて、なんちゅうかなぁ。昨日、富永先生が、あの成り行きを大切にするといったような信心は、いつの頃からどういうことをきっかけで、ああいう信心を体得されただろうかと。教祖様もああいうことを、言葉に出しては仰っていない。また、たくさんの徳を受けられた先生方の、話の中にも聞かない。
しかもなら、金光大神の教えに、もうこげんぴったりしとる教えはないと。というふうで悟っておられるわけです。ですから、こういう信心が、見出されたというのはどういうところのきっかけだっただろうか、とこういうわけなんです。
それを私は聞かせて頂いて、ほんに、そげなことは、求められたこともなかったが、このついでにいっちょ、そのこれは四年半ですね、ちょうど五年祭の式年祭を、椛目で奉仕する半年前の、御大祭の時に頂いたのがきっかけでしたです。
というのは、もうそれは、私は成り行きを大事にするなんてんっちゅのは、ことじゃなかったんですよ。けれども、その自分の上におきてくることは、どげなことでも嫌っちゃ言いません、という神様の約束があった。
それが、いつのまにか成り行きを大事にしたことになったわけです。それんけん、かね、金をくださいという奴には、もうお賽銭箱ひっくりかえしてやる。ね、手にも足にも、棒にもかからん病人ばお願いします、みすみすこれは、困ることはわかっとるけれども、私はそればですね、いっちょんそん時、修行と思ってないということです、私は。
もうその思い込みができとるですから、もうそれはあの時分に、本当にこげなのを受けて、かぁー、検事局には問題が進展する、警察は来る、うーん、衛生局がくるですね、もうそういうような、いわゆる、何ていうんでしょうかね、もうおおよそ、例えば大きな宗教家が、いっぺんは受けておるところの受難時代っていうんですね、ああいうの。それば私は、受難時代といっちょん思ってないということです。
ああ、なんでんかんでん私が頂くもんやけん、神様の方がちっと心配しだしなさったごたる感じやったですよ、反面には。そして、もう (途中切れ)
佐田 與一郎